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この本はおもしろい019(番外編)
人生を愉しませてくれる映画



さや侍 [DVD]さや侍 [DVD]
(2011/11/05)
野見隆明、熊田聖亜 他

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人生の愉しみ方はいくつかあるでしょうが、

35歳をこえた私にとっては、

快楽や享楽がさほど人生を愉しむ上で重要な要素たり得なくなってきました。



懸命にその時、その時をおもしろおかしく過ごしたとて、

幾ばくかの歳月がたったときに、

その記憶が、

生きた実感として今、脳裏に蘇ってこないことを、

経験的に理解し始めたからです。



私が、今が最期のときであると想像しながら人生を思い返すとき、

蘇ってくるのは、

いくつかの心を震わせた体験と、

いくつかの人生観をひっくり返された出来事です。



心を震わせた体験というのは、

家族、恋愛、仕事にまつわる数少ない人生イベントです。



人生観をひっくり返された出来事というのは、

50冊に1冊くらいの頻度で現れる、衝撃的な書籍との出会いです。



心を震わせる体験は、そうそう自ら創り出すことはできません。

ですから、人生を愉しむためには、時間を惜しまずひたすら本を読みまくるという努力を、

怠るわけにはいきません。



さて、今回紹介したいのは、本ではなく映画です。

松本人志の第三回監督作品「さや侍」です。



この映画を観たあと、2、3日は普通の生活に戻ることが出来ませんでした。

視界にモヤかかったようになり、それまでと世界が違って見えたのです。

これほど力のある映画と、私は初めて出会いました。



映画の根底に流れる思想は、武士道です。

日本人が古来から持っている、生の価値、死の美学を見事に表した作品でした。

ネットのレビューでは、”親子愛”という見方が大方ですが、

この映画は、もっと深遠な思想がベースにあるように感じました。



罪人である主人公は、生きるために30日間、生き恥をさらし続けます。

侍の誇りを捨てて、生き続けます。



私は、

「このさや侍の姿は、お前の生き方そのものだ」と言い渡された思いがしました。



生きるために、やれと言われたことをやり、

生き恥をさらしながら、

事を成すことなく、死を待つだけの人生を生きていることに、

いつになったら気づくのだ。




松本人志は、このメッセージを万人に伝えたいがために、

主人公に一般人を起用するという奇策を打ったのだと思います。

主人公が一般人だからこそ、

私は自分を主人公に投影して、メッセージを受け取ることができました。



歳のせいか、笑いの精彩こそ欠いてきた松本人志ですが、

やはり私の人生に絶大な影響を与え続ける大天才に違いないことを

再認識させられました。



そしてこの映画は、人生に愉しみを与えてくれた

私にとっての名作映画となりました。








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この本はおもしろい18
開国の是非を考えさせる本③




学問のすすめ 現代語訳 (ちくま新書)学問のすすめ 現代語訳 (ちくま新書)
(2009/02/09)
福澤 諭吉

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基本的に物事の理解というのは、

その対象と比較することによって成り立つことが常です。



”今の日本”というものを知るためには、

”日本”以外と比べるか、

”今”以外と比べるのが近道です。



後者を軸に理解を進めようとする場合、

やはり遠い過去や空想の未来より、

今の日本の一歩手前であった時代と比較することが、

いちばん手っ取り早いでしょうか。



この本を読むと、

「行政や社会に不平不満は尽きないけれど、

考えてみれば、ある一面では恵まれた時代に違いは無いな」

と、しみじみ感じることが出来ます。


万人のGNHを高めてくれる理想のネクストソサエティに向けて、

我々の社会は前進していると信じたいものです。



この本はおもしろい17
開国の是非を考えさせる本②




日本人の心はなぜ強かったのか (PHP新書)日本人の心はなぜ強かったのか (PHP新書)
(2011/09/16)
齋藤 孝

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日本人の心のあり方のルーツを、やさしく説明しています。

人間の成り立ちを、「心」、「身体」、「精神」の三つの要素に分け、そのバランスが歴史的にどのように変化してきたのかを、解説しています。

なかなか正解の見えない問題で、

「なるほど、その通り!」と首尾よく収まる話ではないですが、

個人的には非常に示唆に富んだ面白い本だと思います。

「バカの壁」で養老が言わんとしたことをなんとなく理解できた気にもなれます。



この本はおもしろい16
開国の是非を考えさせる本①




日本人の誇り (文春新書)日本人の誇り (文春新書)
(2011/04/19)
藤原 正彦

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最近、さまざまなところで、「日本は、大転換期にさしかかっている」と口々に叫ばれています。

たしかに予兆は感じますが、

パラダイムシフトをもたらすエポックメイキングは、

この先に、ある気がしています。



さて、来るべき新しい時代に向けて、

この時期に知らなければならないのは、

今の日本の立ち位置ではないかと思います。


日本は、どこからどのように、ここに来たのか。


これを知らずには死ねないテーマです。
この本はおもしろい15
手にとるように東洋思想がわかる本




手にとるように東洋思想がわかる本手にとるように東洋思想がわかる本
(2009/07/21)
世界思想史研究会

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そのままです。

ですが、意外とこういった直球の本がない。

思想の解説本は、どうしても自分の解釈をからめて偏りがちです。



まずは、こういった本をきっかけにアジアを広く見渡し、

外国人に対して、自分の思想、世界観、思考体系のルーツをちゃんと説明できるようになることが、

国際人への第一歩であるように思います。



思想は安定起動に乗っていない話 其之十四
人生の集大成



~ Make the Final!! ~













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この本はおもしろい14
佐藤一斎の思想がわかる本




佐藤一斎「人の上に立つ人」の勉強 (知的生きかた文庫)佐藤一斎「人の上に立つ人」の勉強 (知的生きかた文庫)
(2010/08/20)
佐藤 一斎

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佐藤一斎の関連本もいくつか読みましたが、

この本は解説も簡潔で、スッス読めます。

佐藤一斎は陽明学者で、幕末の志士に絶大なる影響を与えた思想家です。

私は、幕末史には疎いのですが、日本を変えた思想そのものには興味があったので、

すこしかじりました。

このへんをきっかけに勉強を進めると、

朱子学、儒教が分かり、孔孟思想が見えてきます。




この本はおもしろい13
V.E.フランクルの思想がわかる本



生きる意味生きる意味
(2010/05/21)
諸富 祥彦

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オーストリアの心理学者であるビクトール・フランクルの哲学を、

非常に分かりやすく解説した本です。



言い回しは平易で、

我々が日常的に感じる人生に対する喪失感、虚無感を丁寧にフォローし、

その上で、生きる活力になる言葉をそっと添えてくれます。



その口調に全く説教くささが無いのは、

著者自身の人生経験の豊かさと、感性の深さに因るものであることは容易に想像されます。



フランクル自身の著書もよいですが、

やはり彼の思想を現代の日本人に届けようという姿勢で書かれた本書のほうが、

実利的であることは明らかです。







最後に、私が衝撃を受けたフランクルの言葉を紹介します。



「人間が人生の意味は何かと問う前に、

人生のほうが人間に対し問いを発してきている。

だから人間は、本当は、生きる意味を問い求める必要などないのである。

人間は、人生から問われている存在である。

人間は、生きる意味を求めて問いを発するのではなく、

人生からの問いに答えなくてはならない。」



「あたかも既に

二度目の人生を生きているのかのように、

そして、あたかも、

あなたがいままさに誤まって行為をしてしまおうとしているのと同じ過ちを、

一度目の人生において行ったかのように生きよ」





ひとりごっと 其ノ三十四
健全な精神は健全な肉体に



~Johnny the jogger~








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ふと思ったこと057
デイ オブ ザ イヤー




こないだの火曜日、

10月18日は、今年2011年で最も気持ちがいい日だった。

温度、湿度、空気の澄み方、風の強さ、空模様、すべてが完璧だった。



というわけで、僕の中でのday of the year 2011は、この日に決定した。



これが、その日の出勤途中の写真。



d4



d3



息をしているだけで幸せを感じられる、極上の一日だった。



ふと思ったこと056
いただきます。



日々の食事について、最近、ふと気づいたことがある。



「食べ物は、すべてが命で出来ている」



今日食べたものを思い出してみる。



朝:ウインナー入りパン

昼:ぶっかけうどん(冷)と野菜のかき揚げ

夜:ご飯、味噌汁、豚カツ、レタス、トマト、キュウリとワカメの酢の物、ビール



実に、100%が生き物で出来ている。

命で出来ていないのは塩や水分などごく一部の材料のみである。

少なくとも、カロリーのある食べ物は生物由来の何某かで出来ている。

(ここでいう生物とは、代謝と生殖によって自ら繁栄する個をいう。)



米やうどんや肉、野菜はもちろんのこと、

サラダ油や豆腐、ドレッシングや味噌、ウインナーの皮に至るすべての食材の原料は命だ。

どこかで聞いたような話のように思えるが、

これほどまでにすべての食べ物がとことんmade of livesだとは思いもよらなかった。

漠然と、幾分かは人間の手が作り出しているものだと思い込んでいた。

このことに本当に最近気がついて、そのことに少々驚いている。



今日一日で、僕は数限りない命を頂いて、そのおかげで自分の生命を維持した。



飽食の時代にあって、

食べ物の有難さを感じることが困難な時代だ。

だが、今から口にするものが何から出来ているかを深く考えてみると、

そのすべてが、人間がゼロから創り出すことなど全くもって不可能な、

誠にありがたい自然の恵みで成っていることに気づく。



いくら食糧に溢れる世の中であってもその有難さが変わらないのは、

いくら人口が増えた地球であっても一人の命の尊さが変わらないのと同じである。



日々の食事について、

献立がどうこう言う前に、

味付けがどうこう言う前に、

分量がどうこう言う前に、

まず手を合わせて心に抱くべきは、

自分の命のために捧げてくれた尊い他の命たちへの感謝の念ではなかろうか。






ふと思ったこと055
善とは



今年も、24時間テレビをちょっとだけ観た。



フィナーレは恒例の24時間マラソンのゴールイベントで、

今年は徳光さんが70歳という年齢ながら見事に大役を果たした。



正直言って、個人的には大きな感動は無く、

何故観たかと言われれば、

一年間のシメとして観る紅白歌合戦のトリの北島三郎の歌のような、

一週間のシメとして観るサザエさんの最後のジャンケンのような、

そんなかんじでなんとなくこれを観れば、

「今年の夏もそろそろ終わりだな」という気分に浸れるというのが率直な理由のように思う。



しかし、驚いたのがこの番組に対する、ネット上での非難だ。

番組終了直後にアップされた当番組に関するYahooニュースサイトでは、膨大なコメントの書き込みがみられた。



徳光和夫、チャリティーマラソン完走



その内容はざっと見たところ、

「チャリティー番組なのに出演料が払われるのがおかしい」

「マラソンをする意味がよく分からない&ゴールシーンが出来すぎ」

「偽善番組だ」

といった内容が主なようである。


コメントを読んでいて、なるほど批判もゴモットモと感じはしたが、

よくよく考えると批判の論旨も釈然としない。


そこで、日本テレビは何をしたくて、文句を言う視聴者はどのように観かたを間違っているのか考えてみた。



そこで至った結論は、こうである。



「日本テレビは、チャリティー番組を通じて社会貢献をしたいのではなく、

チャリティー活動をモチーフにしたエンターテイメント番組を通じて、社会貢献をしたいのである」




こう考えると、全く番組内容に問題は無く、お金の流れにも違和感が無い。



この番組をチャリティー番組だと言い切ってしまうと、出演者にギャラが支払われているのが慣習的に違和感を与える。

この批判を避けるために、この番組は「エンターテイメント番組です」と割り切ってしまえばよい。

「愛」や「勇気」や「希望」などのテーマで構成されたこの番組を、

エンターテイメントというジャンルにカテゴライズするのはいささか抵抗があるかもしれない。

しかし、このような内容で、視聴者は感動し、勇気付けられ、心をゆすぶられている。

そういう意味では、報道番組でも教養番組でもなく、れっきとした娯楽番組だ。

(およそ全てのテレビ番組はこの3種類のどれかにあてはまる)

質の良いエンターテイメント番組にはスポンサーが付き、広告収入の一部が番組の制作費に充てられ、

さらにその一部が出演者に支払われるのは当然のことである。



ところこのエンターテイメント番組の内容は、チャリティー活動をモチーフにしている。

チャリティー感溢れる番組内容に、視聴者は感動する。

人のために役に立ちたい、困っている人を助けてあげたいという感情は人間の基本的な情動の一つであり、

それをテーマとして優れたドキュメンタリーやドラマを編成すれば立派な娯楽番組に仕上がる。



ここまでの話であれば、日本テレビは悪者かもしれない。

しかしこの番組では、このエンターテイメント性に心打たれた人々から寄せられた寄付金を、

立派に公益的に使用している。

番組内容がどうであれ、広告収入に関するお金の流れがどうであれ、

募金として動いたお金だけの流れに注目すると、

多くの一般人の寄付金が、善意のもとにおいて、社会貢献に利用されているのである。



誰がなんと言おうと、

日本テレビの24時間テレビは募金をし、

フジテレビの27時間テレビは募金をしなかった。



だから、日本テレビは、賞賛されるべきである。

なんらそのプロセスにおいて誰かに迷惑をかけたわけではないのだ。

その是非を問うこと自体ナンセンスである。

出演料は社会貢献という成果には関係ない。

出来すぎたゴールシーンも、社会貢献という成果には関係ない。

成果のみを正確に評価されるべきである。




ところで、「偽善だ」という批判についてだが、

偽善とは「内面の悪を隠して、善を見せかけること」だそうだが、

内面の悪など、本人にしか分からない主観要素なのだから、他人が批判できるはずがない。



善行を行おうとしている本人にとっては、

それが偽善かどうかは非常に大きな頭の痛い問題だが、

見せかけだろうが本心だろうが、

善を施された人間は実質的に恵みを受けているわけだから、

その心理状態を猜疑的にみたところで、誰も得をしない。



無意味な批判はお互い悲しくなるだけなのでやめましょう。







ふと思ったこと054
夏本番2



今年もまた、これでもかという太陽の声が聞こえてきそうなほどの猛暑。

みなさんのお住まいの地域はどうだか存じませんが、ウチの地域の朝一のクマゼミの鳴きっぷりは、

正直えげつない。



一匹あたりの声量がアホほどある上に、集団でユニゾンかまされる毎日。

こちらの精気も奪われるような思いがする。



というわけで、これだけ人間様の日常にぐいー入り込んでくるセミは、

どこかほおっておけない存在だ。

去年も書かせていただいたが↓

ふと思ったこと013 夏本番

セミシリーズを恒例化すべく、今年も書きます。



さて、前述のとおりウチのまわりにはおびただしい数のセミが生息しており、

めいめいが思い思いの夏を身勝手に謳歌しているが、

そんな彼らを眺めながら、ふと気づいたことがある。



「一週間の命のわりには、そんなに死骸を見かけない」



一本の木にびっしり並ぶほどの数のセミがいるわけだから、

おのおのが一週間で死ぬならば、歩道などに、かなりのセミの死骸が落ちていてもいいはずだ。

ところが、死骸はまあ100メートル歩いて1,2匹という印象。

干からびた哀れなミミズの姿のほうがよっぽど多く目に付く。



まさかと思い、さっそくネットで調べてみたら驚愕の事実が発覚。














「成虫期間は1-2週間ほどと言われていたが、

これは成虫の飼育が困難ですぐ死んでしまうことからきた俗説で、

野外では1か月ほどとも言われている。」


出典:ウィキペディア「セミ」














はかない命だって聞いてたから多少多めに見てたけど、

結構長生きなくせに、毎日あれだけ騒いでやがんのかと思うと、

明日から、ちょっとイラッときてしまいそう。



やっぱり、どこか愛すべき存在である。




ふと思ったこと053
被災者への想い



3月の大震災以降、企業は各種広告やHP上で次のような文句を掲載するようになった。



「被災された皆様に、心よりお見舞い申し上げます」



「お見舞い申し上げます」という言葉は、とてもよく出来た言葉だ。


”お見舞い申し上げる”、”お悔やみ申し上げる”などの決まり文句は、

ややもすると、決まり文句だけに、形式ばった体裁だけの、気持ちのこもらない言葉に聞こえる。

しかし、この度の惨劇に見るような、まさに言葉にならない不幸に見舞われた人に対して、

かける言葉などそもそも無いのである。



本当は、黙ってしみじみと、人生の苦難に対する心の在り様を、共有するしかない。



この態度を、なんとか言葉にしたいという態度を表した言葉が、”お見舞い申し上げる”であり、”お悔やみ申し上げる”なのだ。

身を切るような悲しみに打ちひしがれた知人にかける言葉は、「お悔やみ申し上げる」でよいのである。



この言葉の真意は、

「あなたの悲しみを十分に察するにつけ、今はかける言葉がありません」

ということなのだ。





一方で、次のような言葉もよく目にする。



「被災地の一日も早い復興をお祈り申し上げます。」



この言葉は、僕の中ではうまく理解できない。

さっきまでは、人生の機微、ワビサビを理解した深遠な言葉を使っていると思っていたのに、

この言葉を聞くと、本当のところどうなの?!と思ってしまう。



まず、非被災者が望むべきは、「被災地の復興」なのかどうか。



地震や津波で家族や友人、仕事や将来の夢を失い、人生の目的そのものを失った人にとって、

いま、望んでいるのことが本当に「被災地の復興」なのかどうか。

街のインフラが再整備され、生活基盤が戻ることが、被災者の人々にとって、今どれほど望ましいことなのか。

そのことを考えずに、ただ街の復興のみを期する態度は、浅はかと感じざるを得ない。



被災者にとっての本当の復興とは、

この惨劇の中に光を見出し、自分の生きる道を再び見つけることを言うだろう。



自分の故郷を再び蘇らせることに自分の使命を感じ、

この悲劇そのものが人生を拓く転機となった人もいよう。



人生とは必ずしも思い通りにはいかないものであり、これまで自分の幸せと思っていた

家庭も仕事も全部幻だったことを悟り、残りの人生を諦観することで安らかに乗り切る人もいよう。



被災者の人々が真に望むのは、それぞれに、新しい人生観を獲得し、なんとか生きながらえる智慧を獲得することに違いないのだ。

安易に”復興”のみを願う態度は、決して被災者の人々の心には響かないだろうと僕は思う。





また、「お祈り申し上げる」という態度にも疑問を感じる。

その”祈り”とは、どういう行為のことか。

何に対して祈るのか。

祈りの効果とは、何なのか。



それが、仮に世界の運命を司る神だとしよう。

今、被災者の人たちは、どれほど神の存在を信じられるだろうか。

筆舌に尽くしがたい悲惨な体験をした人々にとって、今の世に神の愛を感じる術は果たしてあるだろうか。

「お祈り申し上げます」という態度は、被災者の今の状態を十分に慮り、その心情を察した上で、

慎重に発するべき言葉だと思う。

「それでも、神のご加護があるはずだ。どうか惨劇に負けないで、神の存在に安らぎを感じてほしい」という、

強い信念を持った上で、その思いを伝える覚悟が、

その言葉には必要ではないだろうか。



あるいは、その「祈り」を東洋思想的に唱える場合であっては、

「祈り」の方法とその効果を十分に理解したうえで実践する者でなけらばならない。

確かに、東洋思想においては、祈りは現実化するという考えがある。

復興を祈れば、確かに復興が早まるという効果を持つと考えられている。

しかし、そのためには特殊な祈り方をマスターしなければならない。

世の中の運命を変えるような祈りなのだ。

そんな生半可なものではない。

心を沈め、全神経を集中して、深い瞑想状態の中で、全身全霊をこめて祈らなければならない。



果たして、「お祈り申し上げます」と言うその人は、

精神が磨り減るまで祈るようなことを本当にやっているのか。





震災から5ヶ月が経とうとする現在、

これを機に考えるべき人生テーマはまだまだ尽きないはずである。




ふと思ったこと052
芸能の本分について



ずいぶん前のことだが、「題名のない音楽会」という音楽番組で、

被災地にメッセージを発するという目的でプログラムが組まれ、

何人かのアーティストが楽曲を披露していた。



そこで、さだまさしさんが、大変心に残るコメントをされていた。

「人が絶望の境地に立たされたとき、まず、心を動かすことが必要です。

残念ながら、音楽に、人の心を動かす力は無い。

音楽に出来るのは、動き始めた心を後押しすることだけです。」




さだまさしさんは、心というものの正体、そして自分の仕事の意味づけをしっかり理解している人だと思った。



それにひきかえ、プロスポーツ選手が、

「自分のプレーを見て、少しでも元気付いてもらえたらと思います」

などの安易なコメントをしているのを聞くと、

なんだか空しくなってくる。

(そういうコメントを仕向けるインタビュアーにます、問題があるのだろうが)



スポーツも、音楽も、芸術も、すべて娯楽である。

芸能である。

これらの営みは、基本的に明日の文化的生活を約束された人間に享楽を与えることを、その主たる目的とする。



生死の境地に立たされた人間、死なないまでもただただ生きることに砕身することを課せられた人間に対して、

これらの娯楽活動がいかなる力を持つか。



このことをよく理解していれば、

それらしいコメントに苦心する必要もなければ、

決まり悪そうに活動を自粛する必要もないだろう。



「我々は、農耕革命、エネルギー革命がもたらした高度文明社会に支えられた

一部の裕福な人間に快楽を与えることを生業としています」

という、決して美化も正当化もしない、さだまさしさんのような割り切った姿勢こそが、

アーティストとしての潔く美しい覚悟だと僕は思う。




この本はおもしろい12
なんとなく仏教が分かる本




日々是修行 現代人のための仏教100話 (ちくま新書)日々是修行 現代人のための仏教100話 (ちくま新書)
(2009/05/09)
佐々木閑

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宗教や思想を解説する書籍は世にあふれいます。

限られた読書の時間において、どう効率的にその中から良書を掘り出すか。

私はひとつの考え方として、次の尺度で本を選んでいます。

「当該思想が、何をどのように考えようとするものかを教えてくれる本」



ですから、いつ、どこで、だれが興しただとか、

それがどのように社会、文化に影響を与えただとか、

他の思想とどのように対立しただとか、

細々とした史実を並べる本をあまり読むことをしません。


「それは、どのような教えなのか」が、しっかりと身にしみて分かることが何より重要だと思います。


そういった意味で、今回ご紹介する書籍は、

初期仏教は、人生を、幸福を如何に捉え、人々をどう魅了したのかがよく分かるという点で、

すばらしい解説本だと思います。



この本はおもしろい11
底知れぬ愛に溢れた本




素直な心になるために (PHP文庫)素直な心になるために (PHP文庫)
(2004/04/01)
松下 幸之助

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私は幸之助の書籍はほとんどすべて読みましたが、

最初に紹介したい本は、やはりこれかなと思います。



戦後日本に登場した数多くの経営者が、自身の経営哲学、理念を著していますが、

あらゆる意味で、幸之助が傑出しているように思います。

幸之助の本を読めば読むほど、彼は偉大な経営者なのではなく、

偉大な思想家がたまたま経営をしたら、案の定、成功したという感覚を受けます。



この本は、人間のあるべき姿を説いた本です。

その根底に流れるのは、

「人は誰でもすばらしい心を、元来持っている」

という人間愛に溢れた精神です。



この本はおもしろい10
ある真理を、その真理性も踏まえて説く本




人生の成功とは何か 最期の一瞬に問われるもの人生の成功とは何か 最期の一瞬に問われるもの
(2005/06/23)
田坂 広志

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人生の真理を得る試みというのは、まさに命がけの大仕事です。

ある人が命をかけて得た真理を語った本について、

寸評や解説をすることほどおこがましいことはありません。



タイトルの問いをお持ちの方は、

読まれることをおすすめします。



これを真理だと思えるかどうかは定かではありませんが、

少なくとも、

真理とはかくあるべきものだということは、

理解できる本です。





この本はおもしろい09
新しい人生観を与えてくれる本




生きがいの創造―“生まれ変わりの科学”が人生を変える (PHP文庫)生きがいの創造―“生まれ変わりの科学”が人生を変える (PHP文庫)
(1999/09)
飯田 史彦

商品詳細を見る




連日の悲惨な被災地の報道を目にするたびに、

言葉にできない想いが頭をもたげます。



ただ、忘れてはならないのは、

大災害で亡くなった方の命も、

同じ日、別の地方で交通事故で亡くなった方の命も、

その尊さは同じであり、

これを悲劇と呼ぶのならば、

その悲惨さは同じだということです。



すなわち、この無念の死は、これまでも、これからも、

世界中で連綿と続いており、

いつか自分の番が来るはずの、

この過酷な現実世界で、

我々は生きているのです。



私の乏しい想像力では、被災者の方々の苦しみを理解することなど

とてもとてもおぼつかないのですが、

現地の皆さんが切に望むのは、

生活物資や生活基盤の再興はもちろんのことですが、

最も生きていくうえで必要とされていることは、

「生きる智慧」だと思います。

「新しい価値観」だと思います。



家族も仕事も失った方は、

何を生きがいに今日を生きればよいのか。



これは、

空前絶後の苦しみをもたらすクライシスを将来に控えた我々にも、

共通の課題なのです。



今回紹介するこの本は、

一つの新しい人生観を科学的に示してくれる、

大変頼もしい本であります。

この人生観を、

日常的に自分のものにすることの是非はともかくとして、

人生の重大な危機に瀕したときの備えとして、

私はいつも心の片隅に留めています。




この本はおもしろい08
夢を語ることの大切さを語る本




使う!「論語」 (知的生きかた文庫)使う!「論語」 (知的生きかた文庫)
(2007/04)
渡邉 美樹

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今をときめく渡邉氏の著書です。

この本を買ったのは数年前で、当時はこの著者を知りませんでした。

たしか、仙台に出張したとき、ホテルの近くの書店で買ったように記憶しています。



実業家の論語の解説本は数限りなく出版されていますが、

この本はとても読みやすいです。

論語を解説しているというよりは、

論語をきっかけに、自身の思想を分かりやすく語っているという感じです。



そして、もちろんこの人の著書ですから、内容はとても熱く、「夢」という言葉に溢れています。

孔子がここまで夢多き情熱家であったかは疑問なのですが、

いろいろな捉え方があってよいでしょうし、

これだけ生きる力に変えられるのは素晴らしいことだと思います。



近代的自我に苦しんでいた当時、

私はこの本を通じて初めて中国思想に触れることができ、

自分の暗い世界観にぱーっと明るい陽射しをあててくれたような感触を受けたことを、

今でもよく覚えています。




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